魔術師の箱庭〜miniature garden〜

プロローグ

 100年に1度行われる聖杯戦争。
 7人の魔術師と7人の英霊がマスターとサーヴァントとなり、この戦に参加する事になる。
 魔術師の矜持の為、普通では叶える事の出来ない願いの成就の為にー。

 だが、その全貌を知る者は誰も居ない。

  ******

「きぃーっ、もうすぐ聖杯戦争が始まるというのに、当主はまだ見つからないのですか。何をぐずぐずしているのです」
 京の北東に藤原一門が住まう陰陽屋敷がある。一族の半分以上がここに住んでおり、屋敷というより小さな村の様だった。
 その1番奥に建つ、広く荘厳な建物が当主の住まう屋敷であるが、主は15年程不在であった。
「ですが、当主の容姿も知れず……手がかりもなく……」
 ヒステリックに叫ぶ当主代理に、家人が申し訳なさそうに答える。
「容姿など知らなくても、見ればわかります。えぇっ、藤原の者なら分かる筈です。聖杯戦争の前に当主に指示を仰がなければいけない事があるのです。このまま……このまま当主が居なければ、由緒正しい藤原が聖杯を手にする事が出来なくなってしまうではありませんか。それだけは、許されない事です。何としてでも、探しだしなさーい!」

 1人の少女が三条大橋の欄干の上に立っていた。
 その容姿と行動は十分人目を引きそうな筈なのに、道行く人々には彼女が見えないのか気に留める様子もない。
「ここの景色も違うのね」
 賀茂川を見つめながらぽつりと呟いた。
「こんな所に居たのか。用が無い時は大人しく屋敷に居て貰わねば、私が困るだろう」
 責める言葉と共にひとりの男が欄干に立つ少女の足を掴み、引きずり落とした。その反動で少女は橋面に背を強く打ちつけられたが、少し顔を歪めただけで叫び声などは上げなかった。
「知っている場所が無いか、調べていたのです」
 よろめきながら立ち上がる少女を、男は乱暴に引きずり橋を後にする。
「そんな事は関係ない。お前は私の出世の道具であればいい。さぁ、来るんだ」
 男は三条駅のロータリーに停めた車に少女を押し込めると、山科の京屋敷に急いだ。

「それで、あの……クレメンス様、こちらがマスター候補の魔術師達の一覧表でございます」
 男は滅多に会う事など出来ない当主を前に緊張していた。
 テーブルの上に並べられた面々は魔術協会でも、優秀な魔術師だったが、クレメンスはそんなものに興味は無かった。
「犬」
 一言発すると、全てを心得た様に背後に控えていた執事が主に代わり書類を見分する。
「はい、こちらとこちらの方が相応しいと思います。用意した宝具との相性も良いでしょう」
 執事に差し出された候補者を見、クレメンスは微笑を浮かべた。
「わらわは、勝利の美酒の味しか知らぬ。勝利の報だけを持ってこい」
「はっ……はい、心得ました」
 姿かたちは幼女だが、醸し出される威厳に男はひれ伏した。男を見下ろしていたクレメンスの顔が微かに歪むと執事がその体を背後から支えた。
「わらわは寝る」
「心得ております。ごゆっくりお休みください」
 眠りについたクレメンスを執事は大切そうに抱き上げると、その頬を人差し指で優しく突っついた。すると、閉じられたばかりのクレメンスの瞳が開かれた。
「ジャスティン様、当主のお休みを邪魔されては……」
 男が心配そうに、執事に言葉をかけた。
「心配などなさらなくても大丈夫ですよ。クレメンス様の事は全て私が心得ております」
 優雅に微笑むジャスティンに、男は見惚れてしまう。
 目を覚ましたクレメンスは、周囲の様子をキョロキョロと見渡すと男と目が合った。男は不敬と目を逸らそうとすると、クレメンスがにっこりと笑いかけた。
「お前は……誰だ……」
 男が先ほどまでのクレメンスとの違いに困惑していると、ジャスティンが男の耳元に顔を近づいた。
「貴方が今見たクレメンス様の事は他言無用ですよ。そうでなければ、おしゃべりなカナリアの首をへし折らないといけなくなってしまいますから、ねっ」
 美しい声色とは裏腹に、その内容は恐ろしいものだったが、男は魅入られた様に何度も他言無用の誓いを口にした。

 高野山の奥ノ院が常とは違う空気に包まれていた。
「阿闍梨、全てのものが京を目指し出立致しました」
「うむっ、何かあれば必ずわしの元に報告するよう。聖杯戦争などで魔術師ではない、一般の者に危害が及ばぬよう努々怠るなよ」
「はっ」
 報告が終わると、護法は姿を消した。
「わしが少し年若であれば参じたものを」
 伝法阿闍梨は遠く京を見つめ呟いた。

「かゆくなって仕方がないな」
「東堂さん。足、虫にでも刺されたんですか?」
 京都府警の新人刑事がベテラン万年ヒラ刑事の東堂鷹史に声をかけた。
「こりゃ、水虫だ。最近いやにかゆくなりやがる」
「うわっ、ばっちぃ」
「何言ってやがる。刑事の職業病のひとつだ。なってないお前は、まだ半人前以下だぜ」
「自分だって、万年ヒラじゃないですか」
 新人刑事が聞こえない位の声で悪態を付いた。
「なんだって」
 今でこそ昼行燈と揶揄される東堂だが、かつては『京都府警に鬼の東堂あり』とまで評されていた辣腕刑事だ。そんな人物に凄まれた新人刑事は完全にびびってしまった。
「いやっ、いやいやいやいやっ。何でもありません。書類、部長の所に届けてきまーす」
「ちっ、口ばっか達者になりやがって。それにしても……このかゆみ、嫌な予感がするぜ」
 東堂は足に水虫の薬を塗りつけながら、ひとりごちた。

 京の北山に、知る人ぞ知るパティスリーがある。
 名前は『Gatto nero』イタリア語で黒猫という意味である。
 この店はイートインは日に1組しか客を取らず、テイクアウトは主人の気まぐれで行われるという商売意欲の無い、不親切な店にも関わらず、パティスリーの美味しさと色香漂う主人見たさに客足が途絶える事は無かった。
「晶君、今日のガトーはどうでしたか?トラヴァイエの方法を少し変えたのですが、ネロは美味しいしか感想を言ってくれないので、是非晶君の感想をと思って来店して貰ったんですよ」
「うん、美味しい。小麦粉の種類変えたよね。それとあっているんだと思う。だけど、これならドレサージュやりすぎ。トレセなんていらない。甘味が多くなるし、食感もアンバランスになる」
 酷評を受け、清一は少ししょんぼりしたが、晶は気づかないふりをした。
「晶君に喜んで貰いたくて色々凝らしてしまったんですよ。そうですね、シンプルな方が美味しさが引き立つかもしれないですね。お茶をもう1杯如何ですか?」
「欲しい」
 清一は新しいカップに紅茶を注ぎ、晶に差し出した。
 晶は紅茶に口を付けると、清一を見据えた。
「それで、何の用?」
「あーっ晶君、髪がぼさぼさじゃないですか。君位の年頃の子はちゃんと容姿に気を使わないといけないですよ」
 髪を弄る清一を晶は睨み付けた。
「そんな事じゃないよね」
「叔父が甥に会いたかった……では、納得してくれないですよね」
 困ったように微笑む清一に、晶がため息を付く。
「誤魔化すなら、もう来ない」
 睨み付ける瞳が強くなるのを感じ、清一は観念し居住まいを正した。
「晶君は昔話した聖杯戦争のお話を覚えていますか?」
「100年に1度行われる、聖杯を奪い合う魔術師の戦いだろ。かあさんと叔父さんが良く聞かせてくれたから覚えているよ。それが、何?」
「それが、ただのお話ではなく現実で……晶君、君はその聖杯を巡る聖杯戦争に参加するマスターになる素質があるんですよ」
 清一の顔が少し曇ったが、晶は気づかないふりをした。
「俺、マスターすれば良いんだな」
「そんなに簡単に答えてしまって良いのですか」
 晶の即答に、清一は狼狽えた。
「正直、魔術師とか聖杯とか戦争とか物語みたいにしか感じてないけど、2人が教えてくれたてたのは、俺がその中に巻き込まれる可能性があるからだろ。叔父さんが呼び出したのも、俺にマスターをして欲しいからだろ」
「……『何故』と……問わないのですか?」
「俺が聞かなくても、教えられる事なら教えてくれるだろ。言わないって事はそういう事だし、無理に聞き出そうなんて思って無い。これでも、一応叔父さんの事は信用してんだ。言える時が来たら教えてくれれば、それでいいよ」
「晶君、君が聡い子で僕は嬉しいです。そして……悲しい……君のお母さんの様に……」
 清一は立ち上がり、晶の頭を3度だけ撫でた。
「僕とネロが君を全力でサポートします。それと、君のサーヴァントが君を守ります」
「叔父さんは役に立たないかもしれないけど、ネロはちょっと位は役に立つかな。それで、俺はどうしたらいい?」
「マスターになる為にはサーヴァントを召喚しなければいけません。召喚に必要な宝具は僕の方で用意してありますから、最適な日に儀式を行いましょう」
「いつ?」
「次の満月の夜です」

  ******

 聖杯戦争の開幕は直ぐそこまで迫っていた。


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