端境~はざかい~

プロローグ

 秋津島には人と妖怪が住んでいた。
 どちらが先に住んでいたかなど分からぬほど遠い昔から住んでいた。
 
 それは共存といえる優しいものではなかった。

 妖怪は人を食らい、人は妖怪を駆逐していた。
 妖怪は人を食べなければ飢餓感に襲われ、苦しむ事になる。
 駆逐される事が分かっていても、人を襲って食べる事を辞めなかった。
 人は妖怪よりとても弱かったが、力の強い者を中心に立ち向かった。
 人は、妖怪をとても憎んだ。

 妖怪の中に鬼と呼ばれる種がいた。
 鬼は力が強かったが、術を使う事は得意ではなかった。
 その為、他の妖怪たちから虐げられ、戯れに消されていった。
 鬼の数が数える程まで減ってしまった時、鬼の頭領は人に助けを乞うた。
 人はそれを受け入れ、鬼を妖怪から匿う事にした。
 だが、問題もあった。
 鬼が妖怪である限り、人を食らわねばならない。
 帝はそれを良しとせず、人の持てる限りの知恵と術とで、鬼を人にとって都合の良い生き物へと変質させた。
 鬼は匿われる代わりに使われる者となり、人に寄り添った。
 その結果、鬼は人にも妖怪にも属さないものとなった。

 鬼を使役し、力を得た人は妖怪を狩りだした。
 弱い妖怪は狩られ、簡単には餌を取る事が出来なくなっていった。

 人の頂点に立つ帝に一人の姫が生まれた。
 “東雲”と名付けられたその姫は、心優しく、強い術力を持っていた。
 姫は、妖怪と人の蛮行を憂い、妖怪の長の元に赴いた。
 その身を差し出す代わりに結界の中に住まう事を懇願し、妖怪の長はそれを受け入れた。
 長の命は絶対であり、多くの妖怪は従ったが、抵抗するものも少なからずいた。
 それら全て、結界に入る事なく同族の牙にかかって消された。
 多くの術者と姫の力で結界が作られ、生き残った全ての妖怪がその中に閉じ込められた。
 結界を維持させる為に、姫と鬼、幾人かの人も結界の内に留まり、國を作った。

 その國を結界の名から【端境】という――。

 ******

「姫さん、今日はひとりか? 鬼の兄さんはどうしたんだ」
 ぼさぼさのちょんまげに無精ひげの店の主が、いつもの客に声をかけた。
「今日は八咫は里に帰省しているの。だから、姫は白と一緒に来たの」
 姫と呼ばれた少女は少し不機嫌そうな顔で答える。隣には普通の倍はある大きな体躯の白い犬が周囲が気になるのか、鼻をひくひくさせ警戒している。
「そうか、偉いぞ。それで、今日は何にするんだ。白玉か? きなこ団子か? 上質の砂糖が手に入ったから、今日の蜜はいつもより美味いぞ」
 店主の言葉に、姫の頬が緩んだ。
「ぜっ……ぜんぶ……」
「ダメだ。虫歯になるだろ。おっさん、白玉だけにしてくれ」
「やっ……八咫……」
 姫が声のする方を見ると、体格の良い男が立っていた。頭には鬼の印の大きな角が2本生えている。
「姫はもう大人なのよ。虫歯になんてならないわ」
 憤慨する姫を横目に、鬼は護衛を務めていた白犬の頭を撫でながら好物の干し肉を与えた。
「大人は甘味の為に御所抜け出さないだろう。まだお子ちゃまなのを認めろ」
 続けて頭を撫でられ、姫の頬が大きく膨らんだ。
「頭を使うには糖分が必要なのよ。姫はすっごく頭を使うの。だから、甘いものが欲しくなるのは仕方がにゃい……いたっ……」
「はいはいっと。舌回らずに噛んでるようじゃ、まだまだだな」
 再び頭を撫でられ、姫の頬はこれ以上大きく出来ない所まで膨らんだ。
「またからかっているみたいだな。姫さん、これで機嫌直してくれ」
 山盛りの白玉にたっぷりの蜜がかかった碗を目の前に差し出され、姫の瞳がきらきらと輝いた。
 白玉を頬張る姫を白犬に任せ、鬼と店主は店の中に姿を消す。
「それで、里の様子はどうだった?」
「ダメだ。考える事を辞めちまった長老連中に何を言っても首を横に振るだけだ」
「……そうか……妹君は息災だったか?」
「鈴音か? そういえば、見かけなかったな」
「薄情な兄者だな」
「あいつももう22だ。後3年の内に主を選ばなければいけないんだが……なんだかな」
 鬼は頭を掻きながらため息をついた。
「兄が兄なら、妹も妹という所か」
 店主は苦笑した。

 ******

 御所の東側に陰陽寮があり、多くの術者が務めている。
 術者の多くは一条と名付けられた通りに沿って屋敷を構えていた。その一角に、地位は高くないものの、強い力を持つ一族が居を構えている。
「なさけないわね。おめおめと負けて逃げ帰ったというの?」
「真央様、大変申し訳……っ……ありませ……ん……」
 真央と呼ばれた水干姿の人物は、大怪我を負いながらも平服する人物を軽蔑のまなざしで見下ろしていた。
「もういいわ、下がりなさい。後はあたしがやるわ」
 平服する人物を手で追い払うと、後ろに控えている人物へ声をかけた。
「聞いてたでしょ。さっさと行って片付けるわよ」
「うん、出立の準備は出来てるから、いつでも大丈夫だよ」
 うなずき返す姿は、水干の色を除けば、先の人物とほとんど瓜二つだった。
「全く、いっつもこんなつまらない仕事ばかり回してくるんだから。もっとあたしの実力に相応しい仕事は無いわけ?」
 文句を言いながらも身支度を進める様子を見て、後ろの人物が気遣うように優しく話しかける。
「この程度の仕事なら僕一人でも出来るから、真央は家で待ってくれてても良いんだよ」
「はあぁ? 家に一人残ってたりしたら、それこそどんな面倒事を言いつけられるかわかったもんじゃないでしょ。それくらいなら、ど田舎で妖怪を相手にしてた方が、よっぽど憂さ晴らしになるわよ」
 身支度を整え雄々しく宣言する。
「わかったよ。真央が一緒に来てくれれば、僕も心強いよ」
「さぁ、今日の獲物はどんな妖怪かしら。行くわよ、真矢!」
 力強い言葉に、自然と笑みが浮かんだ。

 ******

 端境之國の北に狐の祠がある。
 その周囲を下位の妖怪たちが右往左往逃げ回っていた。
「あなた達、何を騒いでいるのかしら?」
 8本の尾を大きく翻し、天狐が姿を現した。
「燐火サマ! 大地ガ揺レル。コワイ、コワイ」
 縋りつく妖怪たちに、天狐はため息を漏らした。
「揺れているのは、黒龍が龍の姿で身じろいだからでしょう。もぉ~、これ位の事で騒がないでちょうだい。睡眠不足は美容の大敵なのよ」
「ゴメンナサイ」
 天狐の言葉に怒られたと思い、妖怪たちはしょげ始めた。
「うんもぉ~、怒っているわけじゃないわよ。呆れているだけ。しょうがないわね、怖い子はあたしの祠にいらっしゃい。少しは怖さも消えるでしょう」
「燐火サマノ祠。綺麗、好キ。燐火サマ、大好キ」
「あんた達に好かれても、あまり嬉しくは無いわね」
 ため息を漏らしながら、天狐は北東に大きくそびえる山を見つめた。
「黒龍も少しは下の者の事を考えて欲しいわ。あんなのが妖怪の長だなんて……うんもぉ~信じられない」
 憤慨する天狐の衣の裾を1匹の妖怪が引っ張った。
「何よ。まだ、何かあるの?」
「ボク、オ腹空イタヨ。苦シイヨ、セツナイヨ」
 弱弱しく泣く妖怪に、天狐はため息を漏らした。
「捧げものが来るまで、お待ちなさい」
 天狐の言葉に、泣いている妖怪は首を振った。
「ドウシテ、人襲ッチャダメナノ? 食ベタイヨ、食ベタイヨ……食ワセロ……」
 正気を失った妖怪は、人の都を目指して飛び去った。


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