プロローグ

As the boy, so the man. ≪三つ子の魂百まで≫

 <この衣着つる人は、もの思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して上りぬ>竹取翁の物語より

 月ノ宮学園は謎の多い学園だった。
 道も整備されていない人里離れた私有地にあるため、バスや電車などの交通機関は通っていない。たどり着くには車などの移動手段が必須で、生徒達は学園が用意した乗り物で移動するのだが、最寄の駅まで1時間はかかってしまう。通学することは不可能だが、全寮制なので不便は無かった。
 外界から閉ざされた空間は、生徒にも学園にも都合がよかった。


 新学期を前に、学園中が大忙しだった。
 その中でも、学生会の忙しさは群を抜いていた。
「うん、終わった」
 学生会会長の白神雪姫は、書類が壁のように積み上げられた机の前で、勢いよく立ち上がった。書類を覗き込むように寝そべっていた猫が、驚いたように床に飛び降りた。
「そうっ? じゃあ、残りのこちらを片付けようか」
 嬉しそうに踊る雪姫に、副会長の桃瀬太郎が声をかける。
「え? でもでも、もう見回りの時間だよ。準備の進行度をチェックしなきゃ」
 逃げ出そうとする雪姫の襟首を太郎がつまみ上げた。
「逃げるのは駄目だよ。赤井を見てごらん、文句も言わずに作業してくれている」
「えっ? 私ですか?」
 急に名前が呼ばれ、デュエル運営委員会会長の赤井メイが慌てて顔を上げた。
「そうっ、メイちゃんとタローちゃんが居れば大丈夫。無敵」
 2人に向かってウィンクする雪姫に太郎がため息をつく。
「赤井はデュエル関連の仕事しか出来ないんだよ」
「まさに、猫の手ですの」
 メイは、室内の所定場で毛づくろいする猫を抱き上げ前足を持ち上げた。
「メイちゃ〜ん、その猫は女の子はあまり抱っこしないほうが良いよ〜」
「え? どうして? この子も異性が苦手なんですの?」
 雪姫の言葉に、メイが不思議そうに聞き返す。
「ん〜っ、そうじゃないんだけどね。……まっ、いいや」
「赤井さん、ここの内容なんだけど……」
 太郎が書類を手に、メイの背後から近寄った。手が肩に触れた瞬間、メイの悲鳴が室内に響き渡る。
「きゃっ……きゃーーっ!」 
「あぁーっ、タローちゃん。ダメ」
 雪姫の制止も虚しく、メイのエアソフトガンからの銃声が室内にこだまし、大量のBB弾が太郎に向かって撃ち出される。撃ち終わって落ち着きを取り戻したメイは、周囲の惨状に顔色を青くした。
「…………あっ……あぁっ、ごめんなさい」
 慌てながら謝るメイと倒れた太郎の間に、雪姫が両手を広げ割って入った。
「メイちゃんは悪くないよ。すぐに忘れてスキンシップしちゃうタローちゃんが悪いんだよ。タローちゃん、メッ」
「……すまない……」
 解せない気持ちを押し殺し、太郎は2人に頭を下げた。

 ***

 学園のカウンセラー室は、校内施設とは思えないほど豪奢な作りだった。
 床には毛足の長いじゅうたんが敷き詰められ、家具などの調度品はアンティークの高級品で揃えられている。
 その部屋の中央の応接セットで、2人の人物がお茶を楽しんでいた。この部屋の主である月ノ宮迦具夜と、その兄で学園理事長でもある月ノ宮帝人である。
「それでは帝。先ほどお願いしたこと、お願いできますよね」
 優雅な手つきでカップをソーサーに戻すと、傍らで控えていた用務員の御鏡真也がそれを受け取る。
「……迦具夜……2人の時はお兄ちゃんと呼んで貰えないでしょうか」
 帝人の言葉に、迦具夜が小首を傾げた。
「帝は帝……それ以上でも、それ以下でもないでしょう」
 迦具夜の返事に、帝人は悲しそうに微笑んだ。
「そうですね」
 2人のやり取りを不自然と感じながらも、真也はそれを顔に出さずに片付けを済ませると、2人に向かって恭しく頭を下げた。
「それでは、私は失礼いたします。何か御用がおありでしたら、お申し付けください」
「用務員の貴方に執事のような仕事をさせてしまって、申し訳ありません」
「いいえ、私の性分ですので。では」
 恐縮する帝人に、丁寧に一礼すると真也は部屋を後にした。
 真也が退出すると、部屋に静寂が落ちる。居た堪れなくなった帝人が口を開いた。
「迦具夜……本当にやるのかい?」
「えぇっ」
 即答する迦具夜の言葉に、帝人の顔がくもる。
「戻って……どうするつもりだい?」
「戻りたいだけ……それだけよ」
 迦具夜が前世を取り戻してから、その瞳には帝人は映っていなかった。どこか遠い場所、人を見続けている。それは、帝人にとって心が引き裂かれるほど辛いことだった。
「戻らなくても、このまま過ごせば良い。私の妹、月ノ宮迦具夜として……」
「貴方は兄ではないのよ。貴方は帝でしょ」
 悲痛な迦具夜の声が、帝人の胸を抉る。
「……妹では、いてくれないの……ですか?」
「……それ以上おっしゃるのでしたら、ここを出ます」
 立ち上がる迦具夜の体を慌てて押し止めた。
「もう……無理は言わないよ……」
「…………」
 押し黙る迦具夜の様子に、帝人は彼女が望む言葉を口にする。
「必ず叶えるから……安心して待っててください」
 その言葉に、迦具夜の口元に微笑を浮かべ入り口を指差した。
「もう……良いでしょ」
「君もまだ仕事が残っているんだろ。あまり無理はするんじゃないよ」
 帝人は扉を閉めると、背を預け目を強く瞑り天を仰いだ。
 「……迦具夜……私はどうしたら良いのでしょうね……」
 帝人は寂しそうに微笑むと、その場を後にした。

 ***

 校舎前の広場。
 雪姫は見回りの途中、家庭科部部長の奥森美菓から新年度の活動方針のレクチャーを受けていた。
「ん〜っ、美菓ちゃんの作るお菓子は最高だね」
 雪姫は口いっぱいにドーナッツをほお張りながら、幸せそうに頬を緩ませる。
「ふふっ、ありがと! 雪姫君が褒めてくれるなら大丈夫よね。キミはお世辞は言わないもの」
「だって、美味しいんだもん」
 自分の作ったお菓子を口いっぱいにほお張る雪姫を、美菓は幸せそうに見つめる。
「もっと食べて食べてー。ふっくらした方が可愛いわよ〜」
 ドーナッツの山を進めてくる美菓に、雪姫が首を振った。
「これ以上食べたら、夜のご飯食べれなくなっちゃう。今日は、タローちゃんのグラタンなんだ」
「まぁ〜まぁ〜、グラタン良いわよね。濃厚なホワイトソースにとろっとろに溶けたチーズが合わさると口の中が凄く幸せになれるのよね」
「うん、そう。タローちゃんのは本当に美味しいんだ」
 嬉しそうに話す雪姫に、美菓も笑みを浮かべる。
「残りは持って帰って、食後のデザートに食べてね」
「はぁ〜い」
 返事のあと、雪姫は分厚いファイルを取り出すと、校内施設の申込用紙を取り出し美菓に差し出した。
「販売の場所は去年までと同じが良い? 違う場所でも、まだ大丈夫だよ」
 用紙を受け取ると、美菓は立ち上がった。
「そうね……。持ち帰って部員のみんなと相談してみるわ。決まったら、相談に行くわね」
「うん、待ってま〜す」
 手を振り合い美菓を見送ると入れ替わりに、猫宮悟が姿を現した。
「白神は、それだけ食べてるわりに、全然太らないよね」
 置かれたドーナッツに顔を近づけ、甘い香りに鼻を鳴らす。
「先輩……どこに行ってたの? それと、これはダメ。先輩には毒でしょ」
「んー……関係ないんじゃない?」
 そっと伸ばした悟の手を、雪姫が軽く叩いた。
「後でご飯持っていくから。そっちで我慢して……ねっ」
「ご飯も必要だけど、菓子は別だよ。白神が独り占めしたくて、屁理屈言ってるんじゃないの?」
「ちっ……違うもん……」
 雪姫はハンカチを取り出すと、その上にドーナッツを2個置いて差し出した。
「とりあえず、それだけ。残りは俺のだから」
 急いで残りのドーナッツをまとめると、バックの中に大事そうに仕舞い込んだ。
「それより……先輩変なことしてない?」
 雪姫の問いに、悟の体が小さく反応した。
「ん?……変なことって?」
 雪姫は悟に顔を近づけると、じっと見据える。
「七不思議的な投書が増えているんだけど? しかも、先輩絡みっぽいんだけど?」
 悟が視線を逸らした。
「ほどほどにしておいてね。じゃないと、対応しないといけないとか面倒なことになりそうだからさ」
「善処しよう」
 そう言うと、悟は踵を返し寮のある方向へ歩き出した。
「先輩の善処って……信用出来ないじゃない」
 雪姫は悟の後を追いかけた。


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