プロローグ<こゆきサイド>

 それは昔の話。
 豊葦原瑞穂国も華の国も出来る前の前の話。


 豊葦原瑞穂国になる前、その地は大きなだけのひとつの大陸だった。
 国というものはなく、人々は肩を寄せ合い小さな部落を作りだして生活をしていた。

 その大陸は死にかけていた。
 光は十分には差しこまず、厳しい自然が人々を襲い、不毛な大地は作物を育てる事を拒絶していた。 

 死はとても身近なものだった。
 口に入る物は全て食べつくしてしまい、餓え死にするのは普通の出来ごとだった。

 奇跡の様に作物が育ちやすい場所が出来た。
 その場所には多くの人が集まり、直ぐに食べる物が足らなくなってしまった。

 人が多く集まる場所には、魔物が餌を求めて来襲してきた。
 餌は人だ。
 餓えと乾きで弱っている人々は、争う事も出来ず捕食された。
 少しの力と勇気があるものは戦い、抗ったがすぐに力尽きてしまい食べられた。

 その大陸では、成人出来る事はとても運が良い事だった。
 成人し、子を成す事が出来るのは奇跡に近かった。

 人々は食べる物もなく、ただただ魔物から姿を隠し暮らす事しか出来なかった。

 目の前で魔物に食べられる人がいても、助ける事も出来ず逃げ回るしかなかった。

 死にたくない。
 死にたくない。
 死にたくない。

 それは、その大陸に住む人々の叫びだった。


 ある日、死にたくないと強く願う人の耳に聞こえる声があった。
『死にたくなければ、隣の人を贄に差しだしなさい』
 優しい声色だったが、その言葉は残酷だった。

 多くの人々が周りの人を生贄に助かる事を切望した。

 兄と弟がいた。
 2人共生きる事を切望し、声を聞いていた。
 兄は弟を見つめると、自分を贄にして助かる様に弟に言った。
 弟はまだ小さく、兄の言葉の意味は理解出来なかったが、自分が死にたくない事は分かっていた。

 ひとつの家族がいた。
 土地は満足では無かったが、家族が生きるのには十分な作物を与えていた。
 だが、飢え死にしないその土地に少しずつ人が増えた為、魔物に襲われる様になり、家族は娘と父親の2人きりになってしまった。
 父親は娘の為に生きる事を切望し、声を聞いた。
 隣にいる娘の為に生きる事を望み、その為に娘を贄に差しだす滑稽さに苦笑いした。
 父親は娘に、自分を贄に差しだす様に言った。

 その部落は滅びかかっていた。
 生きているのは、ほんの少しの人だけだった。
 全員が生きる事を切望し、声を聞いていた。
 年老いた男が、1番年若い生まれたばかりの赤子の為、自分を贄に差しだす様にその子の母親に言った。
 母親は我子を失わずに済む喜びに、その男の言葉を受け取った。

 ある男がいた。
 誰よりも生きる事を切望し、声を聞いていた。
 その男は空を見上げ、力の限り叫んだ。
『俺は誰よりも誰よりも生きたい。生きつづけたい。生きてやるーー!』
 持っていた刀を鞘から抜き出し、高々と空に掲げた。
『誰よりも生きたい俺が贄になるから、たくさんの奴を助けてやってくれ』
 そう叫び、自分の首を刀で切りつけようとした。

 声の主は、その4人に問うた。
『何故、自分が贄になろうとするのです。助かりたくは無いのですか?』
 兄は言った。
『ボクはおにいちゃんだから、おとうとをまもらないといけないんだ』
 父親は言った。
『娘の為に生きているのに、娘を贄にするなんておかしいだろう』
 年老いた男は言った。
『十分生きた』
 男は言った。
『生きてぇ、生きてぇ、生きてぇぇーーっ!けどな、これ以上何も出来ねぇ自分なんてぇのは、俺は嫌だ!』
 4人の答えに、声の主は笑った。
 楽しくて笑ったのではなく、侮蔑の冷たい笑いだった。
『面白くない答えです。望み通り死になさい』
 笑い声が終わると、4人に一陣の光が襲いかかった。
 自分の命を狩る為の光だと、4人は理解した。
 目を瞑り、自分の命の最後と、守りたい人が生き続けられる喜びを感じ、最後の瞬間を待った。
 だが、いつまで経っても最後の瞬間は訪れる事はなかった。
 恐る恐る目を開けると、目の前の大きな影が光を押し留めているのが見えた。
 獣の形をした魔物に似ていたが、まとう雰囲気は清らかで、魔物ではなかった。
『何故邪魔をするのですか』
『貴方こそ、進んで贄になる者に何をするのですか』
 見えない声の主に、違う誰かが話しかけるのが聞こえる。
『私が生きる機会を与えてやったというのに、その4人は自ら贄になると言ったのです。殺すのが当然でしょう』
 新しい声の主に、楽しみを邪魔された声の主が怒りを露わにした。
『貴方は気まぐれで試したのかもしれない。ですが、私は誰かの為に自ら贄になろうとする者の気持ちを尊く思います。私はこれから彼らを導き助ける為、共に生きる事にします』
『下界に降りるというのですか。永遠の命を捨てる事など……お止めなさい』
 引きとめる声の主を振り切り、新しい声の主が下界に降り立った。
 新しい声の主が大陸に姿を現すと、大陸をまばゆい光が包み込んだ。
 その光は魔物には毒になり、力の弱い魔物は光に触れると一瞬にして消滅した。力の強い魔物は、光の届かない場所に身を隠したが、餌を捕獲する術がなくだんだんと弱っていった。

 4人は、その光を目指した。
 最初に辿り着いたのは、年老いた男だった。
 光の中の人影に跪き、永遠の忠義を誓った。

 次に辿り着いたのは、兄だった。
 光の中の人影を見上げ、永遠の献身を誓った。

 その次に辿り着いたのは、父親だった。
 光の中の人影の手を取り、永遠の誠実を誓った。

 最後に辿り着いたのは、男だった。
 光の中の人影を睨み、永遠の熱誠を誓った。

 光の中の新しい声の主は、4人の気持ちを喜び共に新しい国を作る事を誓った。

 そして、豊葦原瑞穂国が生まれた。



 ***



 桜香はいつもとは違う外の気配に目が覚めた。
 まだ夜明けまでは遠く、起きるには早すぎる。尊い身分の女性が勝手に寝所から出る事も出来ず、部屋の外に控えている侍女に声をかけたのだが、しばらくたっても返事が無かった。
 仕方なく起きあがって上着を羽織り、枕元に置いてある愛剣を握りしめると、外の様子を見ようと扉に手をかけた。
 だが、桜香が力を込める前に、その扉が勢いよく開き、桜香は身構えた。
「姫さん、無事か」
 華の王の親衛隊の隊長を務める火の国の武人、迦具突智が勢いよく室内に飛び込んできた。
「なっ……ここは女性の、姫の部屋よ。いくら迦具突智がお父様の親衛隊長でも、男がここに来て……」
 慌てて抗議する桜香の言葉を、迦具突智は遮った。
「煩い。そんな事言っている暇は無い。直ぐに逃げるぞ」
 迦具突智が乱暴に桜香の手を取り、走り出そうとした。
「ちょっ……どういう事よ。説明位しなさいよ」
 突然の迦具突智の行動に戸惑う桜香が、自分の手を握り締める迦具突智の手を剣の柄で思いっきり叩いた。
「イチッ。このじゃじゃ馬、何するんだ」
「意味が分からないわよ。急に逃げるとか……何なのよ」
 突然の迦具突智の行動に、桜香は困惑して怒り出した。
「八雲さまが何者かに殺害されたんだ」
「お父様が……何?今、何て言ったの?」
 信じられない迦具突智の言葉に、桜香の顔色がみるみる青くなる。
「華の王、八雲さまが殺されたんだよ……」
 迦具突智は桜香の顔をしっかりと見据え、華の王の死を再び口にした。
「なっ……何で、どうして……誰よ。お父様を殺したのは誰なのよ!」
 桜香は、迦具突智の胸や腕を叩きながら泣き叫んだ。
 いつまでも泣かせてやりたかったが今はそんな猶予などなく、迦具突智は再び桜香の手を取り歩き出した。
「今は言えな……いやっ、分からない……」
 迦具突智が何かを言いかけて辞めたが、父の死に動転する桜香は気づかなかった。
「賊が次に狙うのはお前だ。今は城にいるのは危険すぎる。一時的にどこかに身を隠す方が良い」
 桜香の部屋へ続く渡り廊下を過ぎると、従妹の杏子の部屋がある。その部屋の前を通る時、桜香は公には杏子が『桜香』と認知されているのを思い出した。自分が狙われるというのなら、標的になるのは杏子になる。
「杏子は?」
「俺1人では、お前を守るので精いっぱいだ」
 いつも剣を交えている桜香は、迦具突智の実力を熟知している。その迦具突智が慎重にならなければいけない相手が敵なのだと知り、桜香は愛刀をぎゅっと握った。
 柄の凹凸がマメに当たり、手に痛みが走った。
 そのお陰で桜香は、火の国の将軍で華の王の護衛を務める不知火の存在を思い出した。
「ねぇ、ポチ。護衛なら不知火にも……」
 豊葦原瑞穂国いちの武人と呼ばれる不知火なら、どんな賊も敵わない。名案だと思った桜香の提案を、迦具突智の声が遮った。
「姫さん!!!」
 声は押さえているが、有無も言わせない様子に桜香の体がびくりと震える。
「今は誰も信じるな……頼むから……」
 その迦具突智の様子で桜香は全てを悟った。
 賊がどんなに強くても、火の国の将軍を倒し、華の王を殺害する事など不可能だった。
 不知火がいれば、迦具突智ひとりが桜香を守る事などありえない事だった。
 何かの事情で迦具突智がひとりで護衛に就くとしても、豊葦原瑞穂国で彼に勝てる者は、火の国の領主王の紅蓮か不知火しか桜香は知らなかった。 


 華の王殺害より数日、火の国の将軍不知火が、自ら悪炉王と名乗り王座を簒奪した事が各国の知る所となった。


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